最高裁判所第二小法廷 昭和42年(あ)1939号 決定 1968年6月06日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人安藤庄市の弁護人林田崇の上告趣意第一点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、上告適法の理由に当たらない。原判決が、その判示にかかる事実関係のもとで、被告人らの笹野恒次ほか一六名に対する欺罔行為を、作為によるものとし、不作為による欺罔行為に必要な告知義務の有無を論ずる必要がない旨判示したのは相当である。けだし、商品買受の注文をする場合においては、特に反対の事情がある場合のほかは、その注文に代金を支払う旨の意思表示を包含しているものと解するのが通例であるから、注文者が、代金を支払える見込もその意思もないのに、単純に商品買受の注文をしたときは、その注文の行為自体を欺罔行為と解するのが相当であるからである。<中略>
また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(奥野健一 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外 色川幸太郎)
弁護人上告趣意
原判決は刑事訴訟法第四一一条第一号及び第三号所定の事由によりこれを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料される。
第一点 判決に影響を及ぼすべき法令の違反
一、原判決は罪となるべき事実中詐欺の点につき不作為の欺罔行為によるものであるから行為義務即ち告知義務の存しない本件については詐欺罪は成立しない、とする弁護人の主張を排斥し
確実に代金支払の見込も意思もないのにこれがあるかのように装つて通常の取引の如く口頭又は電話で商品の買受注文をすることは暗黙の挙動による積極的欺罔行為であつて事実の黙否と他の行為との合体による作為の欺罔というべきであるから告知義務の有無を論ずる必要を論ずる必要はない。
と断じている。成程口頭又は電話で商品の買受注文をすることは積極的な行為ではあるが、刑法上は無色な行為である。かかる刑法上無色な行為が事実の黙否たる不作為と合致して全体として構成要件的な欺罔行為と謂うためには事実の黙否自体が違法なものでなければならず、事実を告知する義務即ち作為義務の存在を前提としなければならないのである。
従来の判決(例えば左に列記するもの)
(1) 大判 大 七、 七、一七
録二四―九三九
(2) 〃 大一三、 三、一八
集三―二三〇
(3) 〃 大一三、一一、二八
法律新聞二三八二―一六
(4) 〃 昭四、 三、 七
集八―一〇七
(5) 〃 昭八、 五、 四
集一二―五三八
等からしても本件が不真正不作為犯として告知義務の有無が論じらるべきことは明らかである。
尤も原判決は次の様にも述べている
(前記関係証拠によれば被告人等は仕入れた商品の大部分を大阪市や東京都でダンピングするつもりであるのに同会社は岡山方面の藺草及びその製品を仕入れ販売し、その見返りに大阪市内で仕入れた商品を岡山県下の農業協同組合等確実な先に販売するものであるとかその他の虚構の事実を告げて相手方に代金支払が確実であるように信用をさせていることが認められる)
この様に何故この部分だけを括孤して述べているのかその意図は明らかでないが、おそらく括孤内の様な事実もあるではないかと云う意味であろう。しかし判示六〇九回の併合罪の関係に立つ詐欺についてその態様は千差万別であるからそのすべてについて右の様な虚構の事実を述べた積極的欺罔手段がなされたと認めるに足る証拠はない。従つて尠くとも判示六〇九回の事実の一部については不真正不作為犯として告知義務の有無を論じなければならない。
二、そこで本件については、自己の信用状態を告知する義務ありや否やを論じなければならない。信用状態について告知義務の有無を論じた先例は稀であるが、前掲判例中(3)がその例である。
右判例は原則論として
商取引ヲ為スニ当リ商慣習其ノ他特別ノ事情ナリ限リ何人モ自己ノ信用力ニ影響ヲ及ホスヘキ事実ヲ相手方ニ告知スヘキ義務ヲ有スルモノニアラサルナリ
と述べている。尤も右判例は結論的には告知義務ありと認めたものであるが、引続いて次の様に述べている。
然レトモ自己カ現ニ認識スル事情及境遇ノ下ニ於テ其ノ情態カ相手方ニ暴露スルトセハ到底其ノ信用ヲ得テ取引ヲ為ス事能ハサルコトヲ了知スルニ拘ラス沈黙シテ之ヲ告ケサル場合ハ之ニ異ナリ其沈黙ハ詐欺罪ノ手段タル欺罔ニ該当スト云ハサルヘカラス、蓋シ信義誠実ヲ旨トスル取引ノ通念上此ノ如キ場合ニ於テハ何人モ相手方ニ対シ真実ナル事実ヲ告知スル義務ヲ負担スルモノニシテ其ノ義務ニ違背シ沈黙スルトキハ之ニ因リ相手方ヲシテ認識ノ対象ヲ錯誤ニ陥ラシムヘキモノナレハナリ
従来より告知義務を認めた判例はほとんどがこの様に「真実を相手方が知つた場合には取引が出来ないのであろうと云う場合には信義則上告知義務がある」と片付けているしか一般論としてはかかる理論は妥当ではない。「真実を相手方が知つたら取引が出来ないであろうと云う場合」とは欺罔と錯誤との間に因果関係があると云うに過ぎず、告知義務を認めるについての必要条件にすぎず未だその要件を充分に満したことにならないであろう。更に又信用状態の不告知に対しかかる一般論を当てはめるならば些細な信用上の不安についても告知することを強制することになり今日の取引のほとんどが詐欺罪を構成することになるであろう。
前掲判例中(5)の昭和八年五月四日の大審院判例は建物につき民事訴訟が提起されていることを黙秘して建物を他に売却した事案について告知義務なしとして例であり、右の様な一般論が成立たないことを示している。
三、告知義務の有無を論ずるためには、事実の不告知と相手方の錯誤との間に因果関係のあることが最少限度必要なことであるが、これだけでは足りず、更に具体的事実に則して真実の不告知と云う不作為が積極的な欺罔行為による作為犯たる詐欺罪と同様に評価し得るか否かを論じなければならない。
所で信用に影響を及ぼすべき事実について告知義務を認めた前掲(3)の判例は株式取引所の仲買人たる被告人が多額の欠損を生じ営業を継続することが出来ず誠実に営業をなす意思もないのにこれを秘匿し顧客より信用取引の証拠金又はその代用証券を受取りこれを騙取した事案についてのものである。(事案としては業務上横領として論ずる方がより適当な事案かも知れない)株式取引に於ける仲買業者と顧客との間の法律関係は委任であり信頼関係を基礎としている。又相手方たる顧客は商人ではなく大衆投資家である。一般大衆保護の見地から特に告知義務を認める必要があろう。
この様に信用状態についての告知義務を認めるべきか否かについては被告人の営業の種類、取引の相手方が誰であるか、又被告人の資産状態がその程度悪化していたか、更にはその時代に於ける社会的背景等を考慮しなければならない。
本件では取引の相手方は岡山藺荷受株式会社と取引するについては興信所等を通じて信用状態を調査して居る。この様に相手方はいずれも自衛力を有する商人であり、更に詳細な資料を得るためには被告人等に対し帖簿類の呈示を求めることも出来た筈である。しかも本件の起つた昭和三一年頃と云えば興信所等の調査機関が発達し、信用調査が迅速且つ容易に行われる様になつて居たのである。
この様な社会的背景からすれば商人間の取引については自己の信用状態を告知する義務から解放されると解すべきではなかろうか。原則としては、何人も自己の信用に影響を及ぼすべき事実を相手方に告知する義務を有しない。何人も自己に不利益な事実を告げたくないのが人間性の本質である。
しかも昭和三一年二月頃の資産状態はかなり悪化していたとは云え曲りなりにも営業を続けて居り同年の一二月頃まで継続し、この間起訴された分に対ししも(検察官の主張に従えば)三六、三七八、九六二円を通常の支払方法により支払つている。こればかりではなく原審弁護人山田謙一が指摘する様に昭和三一年四月から九月までの間に、約八、三〇〇万円の支払がなされ起訴された以外にも多額の取引がありそれらにも相当の額が支払われたことを示している。この様な状況から見て昭和三一年二月頃の経理状態は相当悪化してはいたが、原判決が云う様に仕入れた商品の全部をダンピングしなければならぬ程ではなかつた。従つてこの程度の経理状態では商人間の取引に於て特に告知義務を認めなければならない程の理由はない。
以上の次第で本件詐欺の点についてはその全部又は尠くとも初期の一部については信用状態の不告知が欺罔行為にはあたらないとして無罪と解すべきである。<後略>